舞鶴市(吉坂)と高浜町(六路谷)の境に位置する旧軍施設「舞鶴要塞吉坂保塁砲台・付属砲台」を探索してきました。
あいにくの雨模様(11:20現在・・冷たい小雨)でしたが、13:00頃からは曇り空で、少し晴れ間も見えてきました。
赤煉瓦倶楽部舞鶴の皆様と一般の方と高浜町教育委員会(ご案内頂きました)の方と総勢23名のハイキングです。
【付属砲台跡】
付属砲台跡(標高183m)・・・場所は、高浜町でした。
・付属砲台跡の門(入口)全景 ・赤煉瓦が階段の踏石になっていた
【本保塁砲台跡】
本保塁砲台跡(標高242m)・・・府県境です。施設の場所は京都府をギリギリ避けるように、境界線に沿って綺麗に高浜町側でした。明治33年に砲台工事着工~35年竣工、随所にコンクリートが使用された構造物があり、施設周辺には、側溝や会所も残っていました。
・本保塁入口 ・弾薬庫入口(綺麗なコンクリートです)
・りんぐが出てきそうなサークル井戸 ・弾薬庫(4連)
・監視施設跡 ・砲台(回転式)跡(2台)
・やはり赤煉瓦は階段に使われている ・土間コンクリート上に土が積り、木が成長し扱けた後(不思議な光景)
道中で、お一人で登山されている若い女性と野生の鹿3匹と遇いました。高浜側からは、林道と呼ばれる手前の道が整備されており、ハイキングコースにもなります。車で登るのはおすすめ出来ませんが、本塁のほうは、府道に入り志楽川起点の田圃奥からの山道が近いと思います。だけど、熊・猪・鹿に出くわす危険性が上がりそう。(>_<)
【犬石】
府県堺を決めたと云われる犬石は、別の場所です。今回のハイキングで所在は分かりましたが、土砂崩れで流されたという情報があり、今回は断念しました。
この奥から、吉坂トンネルの上まで行けば、、、道は胡蝶花(しゃが)が道(旧道)に、いっぱい咲いてそうだ。
道は、どちらにしても、高浜側から整備されており、砲台も高浜町教育委員会の皆様が調査されたので、跡がはっきりとしています。舞鶴市側からは、道もなく(山道はあるのでしょう?)まったく整備されていない。明治時代に日露戦争の備えで造られた軍事施設(舞鶴指令)にしては、協力が無いようです。また、本保塁の軍事施設は、府県境で、わざと府内に造らないで高浜側に造っていることが疑問でした。吉坂という地名を決めたのは、言い伝えでは、若狭の国(高浜)なので。だからでしょうか?